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デイゴ・レッド
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ジョン・ファンテ 著 / 栗原俊秀 訳
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四六判上製366頁 3,000円(税別)
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ISBN978-4-89642-451-5 C0097
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各ページに作家の才能が「瑞々しい草原に降り注ぐ陽の光のごとく」散りばめられている(『ニューヨーク・タイムズ』)
1940年に発表された短篇集としては、おそらく最高の一冊(『タイム』)
50年代アメリカのカウンター・カルチャー
ビートニクの先駆けと言われるジョン・ファンテ短篇集
本邦初訳!
ファンテはこのようにして、幼少期に授かったカトリック教育を「見世物」に仕立てあげ、「文化人類学的」とでも形容すべき興趣を作品に添えるのである。イタリア人移民の第二世代というファンテの出自は、こうした「見世物」を演出するうえで、尽きることのない豊かな源泉を作家に提供している。少年時代のコンプレックスを極端な戯画にして描いた「とあるワップのオデュッセイア」においてファンテは、自らに十字架のようにして背負わされた文化的背景を、小説の素材として徹底的に利用しつくしている。……中略……ファンテにしか書けない、ファンテだけの文学が、ここには力強く脈打っている。移民第二世代であるファンテが幼少期に感じていた「生きづらさ」の痕跡は、ファンテの著作のいたるところに顔を覗かせている。
デイゴ・レッドを飲み交わし、遠い故郷に想いを馳せる移民たちと同じように、ジョン・ファンテは書くことによって、「苦さのなかにほんのりと甘さが香る」記憶へと立ち帰ろうとする。幼少期の記憶とは言うなれば、作家の精神的な故郷とでも呼ぶべき空間である。イタリアと、家族と、信仰の香りをグラスから立ち昇らせつつ、「ワップのオデュッセウス」たるジョン・ファンテは、いつ終わるとも知れない航海を進みつづける。生涯にわたって繰り返された、帰りえぬ故郷へ帰りゆく旅の軌跡が、ファンテの文学には陰に陽に刻みこまれている。
(「訳者あとがき」より)
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目 次
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頁
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プロポーズは誘拐のあとで
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5
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雪のなかのれんが積み工
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23
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はじめての聖体拝領
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41
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ミサの侍者
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55
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大リーガー
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85
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僕の母さんの戯れ歌
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103
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ディーノ・ロッシに花嫁を
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114
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地獄への道
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185
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僕らのひとり
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197
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とあるワップのオデュッセイア
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222
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お家へ帰ろう
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247
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神の怒り
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265
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アヴェ・マリア
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281
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訳者あとがき 289/年譜 309/初出一覧 333/著作一覧 334
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ジョン・ファンテ [John Fante]
1909年、コロラド州デンバーにて、イタリア人移民家庭の長男として生まれる。1932年、文藝雑誌《The American Mercury》に短篇「ミサの侍者」(本書収録)を掲載し、商業誌にデビュー。以降、複数の雑誌で短篇の発表をつづける。1938年、初の長篇小説となるWait Until Spring, Bandiniが刊行され好評を博す。その後、長篇第二作Ask the Dust(1939年。『塵に訊け!』都甲幸治訳、DHC、2002)、短篇集Dago Red(1940年。『デイゴ・レッド』本書)と、重要な著作を立てつづけに刊行する。ほかの著作に、Full of Life(1952年)、The Brotherhood of the Grape(1977年)など。小説の執筆のほか、ハリウッド映画やテレビ番組に脚本を提供することで生計を立てていた。1983年没。享年74歳。
栗原俊秀 [くりはら としひで]
1983年生まれ。カラブリア大学文学部近代文献学コース卒(Corso di laurea magistrale in Filologia Moderna)。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程在籍。訳書にジョルジョ・アガンベン『裸性』(共訳、平凡社)、アマーラ・ラクース『ヴィットーリオ広場のエレベーターをめぐる文明の衝突』『マルコーニ大通りにおけるイスラム式離婚狂想曲』、メラニア・G・マッツッコ『ダックスフントと女王さま』(未知谷)がある。
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