ファン・ラモン・ヒメネス [Juan Ramon Jimenez](1881〜1958)
スペイン、アンダルシア地方、ウエルバ県のモゲールで生まれプエルトリコ、サンファンにて没。1956年ノーベル文学賞受賞。『Platero y yo(プラテーロと私)』は彼の代表作。当初画家を志し、父の勧めでセビージャ大学で法律を学び始めるも1899年に中退。この頃から詩を書き始め新聞に投稿。1900年にマドリッドに行き二冊の詩集を出版。同年、最良の理解者であった父が急死。精神病を患いフランスのボルドーの病院に入院。1905年にモゲールに戻って療養。『プラテーロと私』はこの時の体験をもとに書かれた。1911年にマドリッドに戻り盛んに創作活動を行う。1913年カタルニア人の父とプエルトリコ人の母を持つセノビア・カンプルビ(Zenobia Camprub秩jと出会い1916年に結婚。1936年スペイン市民戦争の戦火を避けてキューバ、アメリカ合衆国などに移り住んだ後1950年以降プエルトリコに定住。1956年ノーベル賞受賞の直後に妻を亡くす。2年後にヒメネスも多作な生涯を終え共にモゲールに葬られた。