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コンテンポラリー・アート デュシャン以後のアートとは
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北山研二 著
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四六判上製320頁+カラー口絵32頁 4,000円(税別)
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ISBN978-4-89642-670-0 C1070
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クリスト
ジャン・ティンゲリーとニキ・ド・サンファル
リチャード・セラ
ボルタンスキー
美術館やパブリック・アートへ
自然と足が向いてしまう
秘密を知ってワクワクする美術評論
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目 次
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頁
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序
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1
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第一章 なぜクリストは梱包するのか――見せるアートから見せないアートへ
はじめに 13/一 なぜ梱包アートなのか 16/二 公共空間が梱包されると 23/三 空なるものを梱包して覆って見せると 27/四 公共建築物を梱包すると 30/五 自然等を梱包したら=隠したら 44/六 遊歩道を梱包したら、覆ったら 57/七 空虚の梱包である石油缶を積み上げて 62/むすびにかえて 64
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13
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第二章 なぜジャン・ティンゲリーとニキ・ド・サンファルなのか――挑発するアートから共存するアートへ
はじめに 72/一 動かないアートから動くアートへ、ジャン・ティンゲリーのアートへ 74/二 なぜニキ・ド・サンファルはアーティストになるのか 103/まとめ 122
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72
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第三章 なぜリチャード・セラは新時空間を探求するのか――見えるアートから感じるアートへ
はじめに 124/一 なぜリチャード・セラはアーティストになったのか 126/二 セラは巨大なサイト・スペシフィック・アートを開始する 136/三 セラのパブリック・アートは、パブリックではないのか 141/四 捩れて傾くインスタレーションがあらたな空間を現出させあらたな時間をつくるか 148/五 デュシャンの展覧会企画は、セラのインスタレーションに影響を与えたか 163/六 まとめ 174
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124
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第四章 なぜボルタンスキーは日常性の復元にこだわるのか――日常性のアートから神話へ
はじめに 183/一 使用していた日用品によって子供時代は復元できるか 185/二 子供時代が終わったからには、アーティストにならなければならないのか 188/三 ボルタンスキーは引き続き展示ができるのか 192/四 典型的な家族アルバムとは 197/五 既成イメージから離脱するには 203/六 インスタレーションのサイト・スペシフィック・アート化 206/七 衣類は、その元着用者の不在を感じさせるか 211/八 忘れ物展示は、衣類展示と同じか 214/九 なぜ死の直接的イメージを突きつけるのか 218/まとめ 225
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183
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図版一覧
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237
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注
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241
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あとがき
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289
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北山研二 [きたやま けんじ]
1949年生まれ。東京外国語大学大学院(修士課程)修了。現在、成城大学名誉教授。主要著書・共著に、『危機のなかの文学 ―今、なぜ、文学か?』(水声社、2010、共著)、『パリという首都風景の誕生 ―フランス大革命から世界大恐慌まで―』(上智大学出版会、2014、共編著)、L’art, excès & frontières (L’Harmattan, 2014)、『ブラック・モダニズム――間大陸的黒人文化表象におけるモダニティの生成と歴史化をめぐって』(未知谷、2015、共著)、Revue des Lettres modernes, no. 2019-5, série Raymond Roussel, no.6 (Classiques Garnier, 2019, 共著)、『マルセル・デュシャン 新展開するアート』(未知谷、2021)。主要訳書に、『レーモン・ルーセルの生涯』(フランソワ・カラデック著、リブロ・ポート、1989)、『マルセル・デュシャン全著作』(ミシェル・サヌイエ編、未知谷、1995)、『デュシャンとの対話』(マルセル・デュシャン=ジョルジュ・シャルボニエ著、みすず書房、1997)、『マルセル・デュシャン書簡集』(フランシス・M・ナウマン/エクトール・オバルク編、白水社、2009)、『ダリはダリだ ダリ著作集』(サルヴァドール・ダリ著/ロベール・デシャルヌ編、未知谷、2011)等、その他、写真論、映画論、文化論、建築論、フランス語教科書・教育論など多数。
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