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とし子抄
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宮澤賢治 著 / 井上文勝 編・解説 / 宮沢賢治 著
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四六判上製128頁 1,400円(税別)
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ISBN978-4-89642-389-1 C0092
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妹・とし子への想い 小さな宮澤賢治詩集
父方の在が賢治の花巻にほど近い花泉であることもあって、中学生の頃からケンジ・ファンとなった編者は、以来彼の童話、詩集を座右としてきた。特に、亡き妹トシ(とし子)への詩は読むたびごとに心を揺さぶられた。後年になって、とし子への詩は賢治が生存中に出版した『春と修羅』(全六九詩)中の九詩以外にも散在していることがわかった。そして、もしや、賢治はこれらの詩を一堂におさめたとし子へのはなむけの一冊を作りたかったのではないかと思い始めた。(……中略……)こんなことが、とし子没後九〇周年の今年、賢治没後八〇周年となる二〇一三年に向けて、本書の編集作業を始める契機となった。題名は、賢治と親交があった高村光太郎が亡き妻に捧げた『智恵子抄』にちなんだ『とし子抄』がすぐに浮かんだ。
(「はじめに」より)
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目 次
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頁
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プロローグ
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9
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1 とし子の死
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13
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恋と病熱
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15
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永訣の朝
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18
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松の針
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22
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無声慟哭
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24
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2 とし子の浮上
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27
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風林
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28
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白い鳥
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32
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3 とし子を求めての旅
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37
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青森挽歌
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38
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青森挽歌 三
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54
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津軽海峡
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58
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宗谷挽歌
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63
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オホーツク挽歌
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72
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噴火湾(ノクターン)
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80
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4 あきらめの傷心
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85
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鳥の遷移
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86
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〔この森を通りぬければ〕
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88
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薤露青
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91
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5 銀河鉄道の夜
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95
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6 二心同在
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97
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7 雨ニモマケズ
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103
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雨ニモマケズ
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107
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附録1 ヨーロッパのケンジ
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111
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附録2 私はやさしい雨のしずく
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113
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あとがき
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119
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宮澤賢治 [みやざわ けんじ] 宮沢賢治
1896年、岩手県花巻市生まれ。盛岡高等農林学校卒。近隣の貧しい小作農民たちの物心両面にわたる救済を期し、1926年教員生活に終止符を打って羅須地人協会を設立、農民芸術の振興に邁進する。志半ばにして病を得、1933年早世。享年37歳。盛岡中学在学中より創作に励むが、22歳で初めての童話を執筆、以降、創作と農業指導に献身した。この二つの道は、賢治の短い生涯を貫く重要な柱となる。1924年、詩集『春と修羅』童話集『注文の多い料理店』を出版。
没後、森荘已池などの努力により賢治の人柄と芸術への評価が高まり数多くの童話・詩集が刊行されることとなる。
井上文勝 [いのうえ ふみかつ]
1944年秋田県生まれ。高校の頃から作詩をたしなみ、1966年明治大学工学部を卒業。同年ホロコースト研究の目的でイスラエルに渡り、特別奨学金を得て国立イスラエル工科大学で修士の研究をする。1969年第三次中東戦争でイスラエルの占領下となったエルサレム近郊のアラブ村に移り住み今日に至る。代表的建築作品に「地の蕾(つぼみ)」(ヨーロッパ中央ホロコースト記念館案)がある。1995年、戦後50周年を記念して加藤剛主演の舞台劇「コルチャック先生」を実現。2010年日本初の「ヤヌッシュ・コルチャック国際会議」を東京明治大学にて実現。タイトルは「21世紀の子供の権利」。
著書に戯曲『コルチャック先生・ある旅立ち』(文芸友人社)、ノンフィクション『千の風になって 紙袋に書かれた詩』(ポプラ社)、絵本『子どものためのコルチャック先生』(ポプラ社)。日本ヤヌシュ・コルチャック協会会長。
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