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宮澤賢治×(かける)旭川 心象スケッチ「旭川。」を読む
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松田嗣敏 著
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四六判上製376頁 3,000円(税別)
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ISBN978-4-89642-686-1 C0095
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1923(大正12)年8月2日、妹トシを亡くした傷心の中
サハリンへの旅の途中 旭川に半日を費やした賢治 残された一篇の草稿
生まれ故郷旭川と宮澤賢治を熱愛する著者がその滞在の全貌を詳細に検証する
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目 次
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頁
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はじめに
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1
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仮想・討論会 ――心象スケッチ「旭川。」の解釈をめぐって――
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11
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(1)〔作品以前〕 14
(2)〔作品の印象〕 23
(3)〈旭川。〉 30
(4)〈植民地風の〉 72
(5)〈こんな小馬車に〉 129
(6)〈朝はやく〉 140
(7)〈ひとり乘ることのたのしさ〉 147
(8)〈「農事試驗場まで行って下さい。」
「六條の十三丁目だ。」〉 148
(9)〈馬の鈴は鳴り馭者は口を鳴らす。〉 178
(10)〈K布はゆれるしまるで十月の風だ。〉 179
(11)〈一列馬をひく騎馬從卒のむれ、〉 188
(12)〈この偶然の馬はハックニー
たてがみは火のやうにゆれる。〉 190
(13)〈馬車の震動のこころよさ〉 202
(14)〈この黒布はすべり過ぎた。
もっと引かないといけない〉 206
(15)〈こんな小さな敏渉な馬を〉 208
(16)〈朝早くから私は町をかけさす〉 209
(17)〈それは必ず無上菩提にいたる〉 210
(18)〈六條にいま曲れば〉 222
(19)〈おヽ落葉松 落葉松 それから青く顫えるポプルス
この辺に來て大へん立派にやってゐる
殖民地風の官舎の一ならびや旭川中學校〉 227
(20)〈馬車の屋根は黄と赤の縞で
もうほんたうにジプシイらしく
こんな小馬車を
誰がほしくないと云はうか。〉 251
(21)〈乘馬の人が二人來る〉 280
(22)〈そらが冷たく白いのに
この人は白い歯をむいて笑ってゐる。〉 281
(23)〈バビロン柳、おほばことつめくさ。
みんなつめたい朝の露にみちてゐる〉。 283
(24)〔作品後〕 308
(25)〔全体を通して〕 322
(26)「旭川。」音読・朗読用テキスト 340
(27)【附記】本書のスタンス等について 342
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【追録1】宮澤賢治作《心象スケッチ作品「旭川。」関連》主要参考文献目録 【テキスト篇】
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346
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【追録2】関連拙稿の書誌情報(発表順)
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364
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あとがき
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367
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松田嗣敏 [まつだ つぐとし]
1958(昭和33)年 北海道上川郡東旭川村(現 旭川市)生まれ。
旭川小学校、旭川中学校、旭川東高校(旧〈旭川中學校〉)を経て、北海道教育大学旭川分校(国語・国文専攻)卒。
旭川市教育委員会等に勤務、元 旭川市中央図書館館長(司書)。
編纂に『宮澤賢治オノマトペ索引(童話篇)』(私家版、1981年)、「宮澤賢治オノマトペ索引(短歌・詩篇)」(「賢治研究62」宮沢賢治研究会、1993年)。旭川宮沢賢治研究会呼掛人、宮沢賢治研究会会員、宮沢賢治学会イーハトーブセンター会員。
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