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ベンガルの苦行者
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ラビンドラナート・タゴール 作 / ミミ・ラダクリシュナン 絵 / 内山眞理子 訳
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A5判56頁 2,000円(税別)
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ISBN4-89642-166-3 C0098
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「天上界の力を、おまえはついに手に入れたのだ」
「もはや天上界にわたしのほしいものはありません」
「すると、おまえはなにがほしいのか」
「わたしが望むものは、あの森の、焚き木ひろいの娘です」
天上界の力を求めて修行する若き“苦行者”と
彼の修行を母の如くそっと包み込む
“焚き木ひろいの娘”の物語
修行成就の果てに彼が求めたものは――
アジア初ノーベル文学賞受賞者
詩聖タゴールの寓話詩の新訳と
ベンガルの女流画家の描き下ろしによる
オリジナル絵本シリーズの一冊
「物語の主人公は苦行者であり、したがって苦行者は物語の重要な役まわりである。しかし、それでもなお、物語全体の中心に浮かび上がってくるのは、焚き木ひろいの娘であろう。娘はまるで森の精のようである。この森の娘こそ苦行者にとって真の意味の自由と解放をもたらす使者である。タゴールは自身の理想的イメージを森の娘に重ねあわせているのだろう」(訳者あとがきより)
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目 次
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頁
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一
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6
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二
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18
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三
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24
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四
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28
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五
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38
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六
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44
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訳者あとがき――「ベンガルの苦行者」によせて
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51
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ラビンドラナート・タゴール
[Rabindranath Tagore] (1861―1941)
ラビンドラナート・タゴール(ベンガル語読みではロビンドロナト・タクル)は、1861年5月7日、インド、ウェスト・ベンガル州コルカタに生まれた。1913年、英文詩集 『ギーターンジャリ』によってノーベル文学賞を受賞した。アジアで最初のノーベル賞受賞である。受賞対象となった同詩集は、母語であるベンガル語で著した同名詩集『ギタンジョリ』(『ギーターンジャリ』のベンガル語読み)を中心に、他の詩集から択んだ神秘的抒情詩を加え、それらをみずから英訳して編んだものである。『ギタンジョリ』収録のベンガル語詩の多くに、自身の作曲による旋律がつけられている。すなわちタゴールは、その生涯を通じて詩人であり、歌を作詞作曲する音楽家でもあった。同時に小説、物語、戯曲を書き、さらに舞踊劇を創作し、哲学的思索家であり、その教育思想と信念にもとづく学校をはじめた。第一義的に詩人であり、すべての活動は詩人の魂から発せられたといえる。晩年になるほど民衆のために思索をめぐらし、理想主義をつらぬく愛国的な詩を書き、独立運動の昂揚にあたえた影響ははかりしれない。インドとバングラデシュ両国の国歌は、タゴールの作詞作曲である。
詩集に『黄金の舟』『渡り翔ぶ白鳥』『木の葉の皿』『絶筆』などがある。小説に『ゴーラ』『家と世界』『四つの章』ほかがあり、数多くの短篇小説がある。絵画の作品も多い。講演集や論文的エッセイに『生の実現』『人間の宗教』などがあり、『国家主義』で欧米や日本のナショナリズムを批判した。
1941年8月7日、コルカタのジョラシャンコにある生家で帰らぬ人となった。享年80歳3ヶ月。
生家のタゴール邸は現在、タゴール・ミュージアムとして一般公開されている。
ミミ・ラダクリシュナン
[Mimi Radhakrishnan]
1955年、コルカタ(カルカッタ)生まれ。1974―79年、ビッショ・バロティ(通称タゴール国際大学)美術学部で学ぶ。その後、グジャラート州のM.S.バローダ大学修士課程で版画制作を専攻。現在ニューデリーで創作活動をつづける。インド国立モダン・アート・ギャラリーおよびラリット・カラ・アカデミー(ともにニューデリー)他に作品が収蔵されている。著書に短篇小説集『夜の呼び声』("Nishir Dak" ベンガル語)がある。
内山眞理子 [うちやま まりこ]
1949年、山口県生まれ。大学卒業後の1972―73年、ウェスト・ベンガル州シャンティニケトンにあるビッショ・バロティ(通称タゴール国際大学)哲学研究科にてタゴールの思想を学ぶ。翻訳書に『ユニコーンを探して(サタジット・レイ小説集)』(筑摩書房)、『もっとほんとうのこと(タゴール寓話と短編)』(段々社)ほか。著書に、ベンガルの吟遊歌人バウルを紹介した歌紀行『ベンガル夜想曲(愛の歌のありかへ)』(柘植書房新社)がある。
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