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ヨージェフ・アティッラ詩集
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ヨージェフ・アティッラ 著 / 原田清美 訳
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四六判上製256頁 2,500円(税別)
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ISBN978-4-89642-479-9 C0098
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バラッジ・バーリント記念の剣賞(2016年)受賞
ハンガリーの現代詩はすべて
夭折の詩人ヨージェフ・アティッラから生まれた――
その詩と生涯を一冊で味わう邦訳オリジナル
久しく、ぼくは孤独だった。
それから、仲間がやってきた。
きみは一人だ、彼らは言った、
友のままでいたかったのに――
こうして、虚しく生きてきた、
今、心底、そう思う。
愚かな人生送ってきた、
もう死さえ役には立たぬ。
生まれ落ちると、さらされた、
凍てつく冷たい世間の風に。
人を傷つけたこともある、
だが、はるかに傷つく人生だった。
春は美しく、夏は美しい!
秋はさらに! だが、冬が最も美しい、
死を前にして、見知らぬ者たちに、
暖炉と家族とを願うなら!
(此処に、おお、わが終の住処を得たり……)より
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目 次
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頁
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初期詩篇 FIATALKORI VERSEK 1924―1929
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貧しき者のバラード
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8
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貧しき者の恋人に
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11
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ぼくが叫んでいるのではない
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14
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貧しき者は最も貧しい
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16
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本心で
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18
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庭師になりたい
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21
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彼女が通りを渡っていくと
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24
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(ハンガリーは遠い国……)
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27
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ほら
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30
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パリの絵葉書
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32
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(おお、ヨーロッパ……)
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34
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悲しみと歓びできみを讃え
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36
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ヨージェフ・アティッラ
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39
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父、ヨージェフ・アーロン
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41
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揺りかごの歌
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44
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手をおいて
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46
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珊瑚の飾り(クラーリショック)
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48
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きみが去ってから
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51
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悲歌 ELEGIA 1932―1934
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郊外の夜
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56
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七番目
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64
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冬の夜
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70
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希望もなく
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78
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バラード
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82
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悲歌(エレーギア)
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84
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讃歌(オーダ)
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90
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目覚め(エスメーレット)
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105
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ママ
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115
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後の嘆き歌 KESEI SIRATO 1935―1937
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子守唄(アルタトー)
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120
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扉をあける
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124
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秋
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126
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後の嘆き歌
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128
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ドナウの岸辺で
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132
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バラトンサールソー
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138
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おお、愛が……
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145
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あの美しい昔の人
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147
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苦しい
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150
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決算の用意はできた
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158
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フローラ 六脚詩句
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160
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フローラに
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162
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誕生日の贈り物
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166
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(ぼくの詩を読む者は……)
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170
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(ぼくは突然、消えてゆく……)
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172
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(棒切れを持って来たのか……)
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174
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(此処に、おお、わが終の住処を得たり……)
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177
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解説
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181
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あとがき
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247
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ヨージェフ・アティッラ [Jozsef Attila] (1905〜1937)
ハンガリーの首都ブタペストの貧しい労働者の家庭に生まれる。三歳で父が失踪、十四歳で母に先立たれ孤児となる。養父の援助でギムナジウムを経てセゲド大学の哲学科に進むが、既成の倫理に挑戦する詩を書いて大学を追われる。ウイーン、パリと放浪し、フランソワ・ヴィヨンに感銘を受ける。帰国後労働運動に関わりつつ、新しい時代の詩を求め、ハンガリー詩の伝統に革新をもたらす作品を発表。だが貧困と孤独の中で精神を病み、三十二歳の若さで自ら命を断った。困難な幼年時代から悲劇的な最後を遂げるまで、不運と試練に満ちた暗澹たる人生であったが、内なる苦悩を悪魔払いするかのように想像力の空間で浄化し、言葉の魔術によって美しい作品に変容させた。ハンガリー現代詩の先駆者。ヴィヨンの詩精神を二十世紀のハンガリー社会で生きた詩人。
原田清美 [はらだ きよみ]
1948年熊本生まれ。都立大学大学院仏文科修士課程修了。1978〜80年、ブザンソン大学留学。2001年、ハンガリー政府奨学金を得て、ELTE(ブタペスト大学)留学。現在、城西大学講師。
訳書『黄金のブタペスト』(共訳、未知谷)
アディ・エンドレ『新詩集』(未知谷)
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