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目 次
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はじめに
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1
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I “農”を選ぶまで
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1 没落士族の子と“農”
金沢郊外野田山/没落士族の子として/幼年時代/第四高等中学校/農科を選ぶ
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22
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2 農業教員となる
東京帝国大学農科大学/砂糖の研究と頓挫した台湾での就職/福島県蚕業学校への赴任/山崎延吉の「日記」と福島での生活/大阪府立農学校への転出/『新農報』への寄稿
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II 地域に降り立つ山崎延吉
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1 愛知県立農林学校校長
愛知県立農林学校校長への抜擢とその背景/農林学校開校/山崎延吉の構想する地域指導者像
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2 「農村自治」論の提起
『愛知県農会報』での主張/日露戦争への対応/交友関係の拡大と中央報徳会/山田太一郎『理想の農村』からの刺激/『農村自治の研究』の刊行/「農村自治」の構造/国体論と農村の優越性/農村自治の担い手/農村自治の基礎としての農業/“秩序”の受容/地方改良運動の推進者として
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67
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3 社会的活動の全面的展開
教育の社会化/愛知県農事試験場と篤農家懇談会/青年教育への視点と青年団/外遊とその成果/農家経済論・農業経営論の深化/悠紀斎田点定/我農園の開園/性向の変化
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III 農政運動と「農村計画」
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1 帝国農会幹事となる
農林学校校長の辞任/帝国農会幹事への就任/米投売防止運動の指導/農政記者の農村視察旅行/山崎延吉の地主観
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2 「農村計画」とその構造
第一次世界大戦中・戦後の農業・農村社会/呼号される「農村振興」/「農村計画」の提唱/“生活”という視点/「生活価値」と農民
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3 山崎延吉の実験場
日本デンマークの誕生/多角形農業の構想/産業組合と農業の協同化/「イネの神様」岩槻信治/日本のグルントヴィヒ/安城町長岡田菊次郎
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IV 興村行脚の日々
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1 興村行脚と農民教育
無官の大夫/興村行脚の日々/農民教育の模索/全村学校の展開/体験型教育
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2 “農”と“生命”
大正デモクラシー期の農本思想/山崎延吉における“農”の意味/山崎延吉と大正生命主義、そして筧克彦
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3 衆議院議員当選と政治世界への失望
政治化する山崎延吉/大正デモクラシーへの共感/立憲農民党運動へ/衆議院議員選挙立候補問題の生起/愛知四区の状況/山崎延吉の政見・政策と選挙運動/最高位での当選と失望/山崎延吉における社会観と政党政治の位置
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V 皇国の農村
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1 「農民道」の闡明
神風義塾開塾/実践・行・皇国精神/塾風教育施設/門出の章/「農民道」と天皇への帰一/農民道と筧克彦の国家論/昭和天皇への「御進講」/安城女子専門学校校長就任
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234
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2 「皇国」の農民
満州事変と排外意識/反ファシズム的態度/農村恐慌と農山漁村経済更生運動/還暦をむかえる/山崎延吉の恐慌対応策/手詰まり感と精神主義への傾斜/朝鮮総督府嘱託就任と山崎延吉の朝鮮認識
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VI 連続する戦中・戦後
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1 戦時下の山崎延吉
日中戦争全面化と食糧増産/紀元二千六百年から日米開戦へ/古稀/時局への非一体化
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2 「戦後」の活動
再開された社会的活動/貴族院勅撰議員となる/「戦後」を受け入れる山崎延吉/農地改革への同意/愛知用水計画への助力/山崎延吉頌徳館の建設と長逝
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おわりに
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山崎延吉年譜
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317
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山崎延吉についての主要研究
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325
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あとがき
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329
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索引
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338i
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