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目 次
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序章
一 シラーの評価10/二 ヘーゲルやガーダマーのシラー解釈の偏向11/三 シラー像の変更のために13/四 シラーの「自由」概念15/五 解題17
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第一章 悲劇論と崇高――カント崇高論の受容
一 シラー悲劇論の源泉24/二 シラーの悲劇論の成立と崇高26/三 『悲劇芸術について』において35/四 『パテーティッシュなものについて』における悲劇論45/五 悲劇論の展開と崇高論50
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第二章 美と崇高――カント趣味論との対決
一 カントとシラーの、広義における美58/二 『カリアス書簡』における美68/三 『カリアス書簡』における崇高83/四 『優美と尊厳について』における美と崇高88/五 『人間の美的教育について』における問題点100/六 『人間の美的教育について』における衝動論から美の理念へ107/七 『人間の美的教育について』における「能動的規定可能性」あるいは「美的状態」126/八 『人間の美的教育について』における「美しい仮象の国」146/九 「現象における自由」の展開、と残された問題157
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第三章 道徳と、美および崇高――カント倫理学の批判
一 カント批判への美の関与168/二 『優美と尊厳について』におけるカント「厳格主義」批判170/三 カントの返答182/四 寸鉄詩をめぐって187/五 シラーのカント批判に関するブレラーゲ説190/六 一七九三年十二月三日付アオグステンブルク宛書簡195/七 一七九五・九六年の見解212/八 美的判断と道徳的判断との関係224
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第四章 自由と崇高――カント崇高論からの脱却
一 二つの崇高論の位置づけ242/二 第一崇高論での「理論的崇高」と「実践的崇高」244/三 第一崇高論での「観想的な崇高」と「パテーティッシュな崇高」261/四 精神的(moralisch)な意志の自由268/五 第一崇高論についてのド・マンの解釈270/六 第二崇高論における〈意志と道徳的[精神的]文化〉272/七 第二崇高論における〈美と崇高〉と自由281/八 第二崇高論における「デモーニッシュな自由」と「予防接種」289/九 美と崇高の統合問題296/十 第二崇高論の評価299
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終章――ニーチェの先駆者としてのシラー
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あとがき
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シラーの引用著作年譜325/戯曲年譜327
人名索引i
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