『ダダ大全』の書評2

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コ ー ド
ISBN4-89642-067-5
書  名
ダダ大全
著  者
リヒャルト・ヒュルゼンベック 編著 / 鈴木芳子 訳
書  評
タイトル
前代未聞のダダ的カオスの記録
その現代性を再発見するための重要な書物
評  者
塚原史 (つかはら ふみ)
早稻田大学教授、
ダダ・シュルレアリスム研究、
20世紀文化論専攻

掲載誌紙
「週刊読書人」第2477号
2003年3月7日(金曜日)
「明日をも知れぬ」などと言うと今ではもうかなりレトロな表現だが、9・11以後の、目が覚めたら世界が消滅しているかも……という不安が現実味を帯びてきた21世紀の入口で、そんな明日をも知れぬ時代があったことを思い出してみるのも悪くはないだろう。人類がはじめて経験した世界戦争の最中のことである。近代合理主義がもたらしらはずの進歩と繁栄が一夜にしてその反対物に転化し、退廃と破戒が世界を多い、独仏国境の激戦地では日ごと数千の死者が出るような、文字どおり非人間的な時空のエア・ポケット、中立国スイスはチューリッヒの裏通りシュピーゲル・ガッセ1番地に、1916年2月5日、ドイツの反戦詩人バルが開いた文芸酒場キャバレー・ヴォルテールを舞台に演じられたDADAの「明日をも知れぬ」祝祭の首謀者のひとり、ドイツの詩人医学生(当時)リヒャルト・ヒュルゼンベックによる、本書は前代未聞のダダ的カオスの記録である。
『ダダ大全』という表題どおり、そこには本人ばかりか、もうひとりの首魁たるルーマニア出身の詩人ツァラ、アルザスの彫刻家アルプ、パリの画家ピカビア、ベルリンの怪人(とでもいう他はない)ハウスマンら、ダダの巨人たちのテクストが当時の写真やパンフレットのコピーとともに集められていて、それらの全貌はまさしく「大全」の名にふさわしい。現代的関心から内容をすこしだけ紹介すると、たとえば、ツァラが「ダダハ何モ意味シナイ!」と叫んで開始した言語と意味切断を、ヒュルゼンベックはさらにグロテスクに変形して意味不在の音響詩『幻想的祈り』を発表するのだが、じつうはこうしたノンセンスな言語破戒のきっかけは「ポエム・ネーグル」と叫ばれたアフリカやオセアニア先住民の詩篇との出会いだったことがあらためて確認される(マオリ族の労働歌「トト・ヴァカ」の引用など)。また、チューリッヒ・ダダ以後の、パリはもちろんドイツ諸都市やオランダ、イタリア、スペインなどの資料も入っていて、「他文化主義のグローバリゼーションのプロトタイプ」(訳者の言葉)としてのダダの諸相が浮き彫りにされる。この点では「明日をも知れぬ」時代のダダが明日の未来の地平を予見していたという逆説を、本書ははからずも示しているとさえ言ってよい。ダダの現代性を再発見するための、重要な書物である。
「序文」で、著者は「自分自身のダダイズムに対してダダ的態度を取るためには、十分にダダイストでなければならない」と書いたが、訳者がまさに「十分にダダイスト」であることは、訳者による巻末の「ダダ猫」のイラストでもあきらかだろう(もちろん、訳文と訳註は精緻をきわめているが)。「ダダ的」でない研究者が増えているだけに、ダダ派としては心強い。最後にひと言、シュピーゲル・ガッセの建物は長年廃墟同然だったが、この冬立ち寄ったところ工事中で、夏頃には新装開店の運びらしい。まさかキャバレー・ヴォルテール2号店ではないだろうが、じつはひそかに期待している。


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未知谷