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ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく
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オタ・パヴェル 著 / 菅寿美,中村和博 訳
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四六判上製224頁 2,500円(税別)
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ISBN978-4-89642-602-1 C0097
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ずっと彼らを見ていると、
不意にわかってきた。
兄貴は満足しているのだ。
変わりなく魚を
釣っていられることに。
水辺にいて
そのそばを川がめぐり、
川向こうには森が広がり、
そこでは雉がまた喜びに叫び、
湿った土の中から
ミミズを掘り出して食べている、
そういったことに。(本文より)
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目 次
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頁
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幼年期
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コンサート
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8
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黒いパイク
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12
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ぼくの初めての魚
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14
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パイクで勝負
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19
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シーマ岩の下で
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23
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おやじとウナギをもてなしたお話
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27
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白いヤマドリタケ
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33
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お前を殺すかもしれないぞ
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38
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ドロウハー・ミーレ
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50
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向う見ずな青年期
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戦後、プロシェクさんのところで
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66
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小さな鱒
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71
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のっぽのホンザ
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77
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潜水艦での魚釣り
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109
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ハガツオ
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120
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回帰
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プンプルデントリフ
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130
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ジェフリチカ
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137
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来いよ、入れ食いだぞ!
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145
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釣り竿泥棒
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149
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ぼくらが魚釣りで死んだお話
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155
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ぼくらが魚釣りで死ななかったお話
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166
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メイド・イン・イタリーの靴
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170
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金のウナギ
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176
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エピローグ
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197
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王国半分をその言の葉に(カレル・シクタンツによる序文)
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202
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訳者あとがき
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218
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オタ・パヴェル [Ota Pavel](作家、ジャーナリスト、スポーツ記者)
父レオ・ポッペルと母ヘルミーナの第三子として、1930年7月2日チェコスロヴァキア(当時)のプラハに生まれる。パヴェルはポッペルをチェコ風に変えたものである。1949〜56年にチェコスロヴァキア放送においてスポーツ記者を務め、そののち雑誌スタディオン等でも同様の職を務めた。1964年、プラハのサッカーチーム、ドゥクラの米国遠征に同行した経験を『摩天楼のはざまのドゥクラ』として発表すると、話題を呼ぶ。後年、双極性障害に苦しみ、入退院を繰り返す。その間にもスポーツ選手を取り巻くドラマを鮮やかに描き出した作品を数作発表するが1971年に自らの家族、なかでも個性的な愛すべき父にまつわるエピソードを連ねた自伝的短篇集『美しい鹿の死』を発表すると、大きな反響とともに「カレル・チャペクの再来」と注目を集めた1973年3月31日に心不全のためプラハで亡くなった。1974年初出の『ボヘミアの森と川 そして魚たちとぼく』は、自伝的短篇集の第二作目であり、今もなお、チェコの人々に広く愛読されている。
菅寿美 [すが ひさみ]
1972年生まれ。島根大学理学部化学科卒業、北海道大学大学院地球環境科学研究科博士後期課程単位取得退学。北海道大学および中村和博氏のもとでチェコ語を学ぶ。
中村和博 [なかむら かずひろ]
1950年生まれ。明治大学法学部法律学科卒業、小中学校勤務ののち、東京外語大学ロシヤ・東欧学科チェコ語専攻卒業、同大学院博士課程前期終了。外務省語学研修施設、大学書林国際語学アカデミー(DILA)、日本チェコ協会およびチェコ倶楽部でチェコ語講師を務める。
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