ブルガーコフ(一八九一―一九四〇年)は革命期のロシアの作家である。しかし、一九二九年以降、すべての作品が発禁となり、それは再評価される一九六六年まで続く。代表作「巨匠とマルガリータ」をはじめ多くの作品は、作家の死後四半世紀を経てようやく日の目を見た。が、削除なしの選集が出版されたのは、さらに後、ペレストロイカ以降のことである。
このように書くと、重い政治小説を想像するかもしれない。しかし、ブルガーコフの持ち味は社会風刺と諧謔(かいぎゃく)にあり、それだけに政治家には、よりやっかいな作家であったのだろう。この機会に新訳の「巨匠とマルガリータ」(法木綾子訳、群像社、二〇〇〇年)を合わせ読んだのだが、いまの視点からみれば、それはポップ小説の祖型のようにも読める。本書に収められた「カフスに書いたメモ」も含め、七〇年代以降の日本文学にも、ブルガーコフはかなりの影響を与えているのではないだろうか。一九六九年には、すでに翻訳が出始めているので考えられないことではない。ただし、ブルガーコフのユーモアは、現実の絶望の淵(ふち)に直面するところから生まれているのだが。
本書に収められたのは、初期の自伝的といわれる作品であり、医師であったブルガーコフが、それを捨て、小説家・戯曲家として一本立ちしようとしていた頃の作品である。
社会風刺の小品の多い中、「赤い冠」は、死の枕にある母から、弟を連れ戻して欲しいと頼まれる兄の話である。義勇軍として反革命軍に弟を送り出した兄は、弟の死を目撃して発狂する。狂気や幻覚の描写は、後のブルガーコフの特徴となるが、それは、自身がモルヒネ中毒を体験したことが大きいのだろう。
「モルヒネ」は、その体験をもとに書かれた作品である。ブルガーコフは、ジフテリアの予防接種によるひどいアレルギー症状を緩和するために、モルヒネを用い中毒となる。医師による麻薬中毒の手記として、文学の領域を超えて広く読まれるべき作品である。
「カフスに書いたメモ」は、文学で身を立てようとしている主人公が、なんとかモスクワに行き、そこでリト(文学出版部門)に職を得るが、それが解散になる話である。まるで、ビデオの早送りでカフカの世界を見ているようだ。二時間遅刻しただけで、事務所はもぬけの殻、誰も引っ越し先を教えてくれない。二階の女性が書類を回さないので給与が支払われない。何をするのも書類。いいかげんな対応に走り回り、それでも書類が通ればリトは動き出す。食えない。裕福な家でごちそうになれば、その場で主人が逮捕される。短く切られる描写がなんともせつない。これが、すべて実体験だというのだ。
翻訳は、最近の翻訳文体に媚(こ)びることなく、それでいてリズミカルで若々しい。また、脚注がすばらしい。端的な表現で、当時の文学、政治、地理がわかりやすく述べられている。また、医学用語については、さすが医師の手によるものである。そう、この仕事を成したのが、弘前市在住の現職の医師によるとは驚嘆するしかない。
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