愉快で抒情的なグルジア小説の翻訳が出た。原著は一九五九年に、当時ソ連を構成する一共和国だったグルジアで発表された。大人が読んでも十分楽しめるが、おそらく若い読者を対象にして書かれたものだろう。ずいぶん昔の作品だし、当時のソ連の限られた言論の自由を反映している面もあって、現代の読者にはちょっと物足りない、のどかで牧歌的な物語のように見えるかもしれない。
しかし、この本の出版は、ちょっと大きく構えて言えば、日本の外国文学紹介史上、画期的なものだ。おそらく日本で初めて、グルジア語の原典から翻訳された文学作品だからである。
グルジアと言われても、具体的なイメージを持つ日本人はまだ少数派ではないかと思う。コーカサス地方の風光明媚な、ワインの名産地として知られるこの小さな国は、また古い豊かな伝統文化と強烈な民族意識を持つ国であって、一九九一年にはソ連解体とともに宿願の独立を果たし、その後も複雑な民族問題を抱えながらも現在に至っている。すでに四世紀から独自の文字を持ち、十二世紀のタマル女王の時代にはショタ・ルスタヴェリという詩人による国民的叙事詩『豹(ひょう)皮の騎士』を生み出した(邦訳は大谷深訳、DAI工房刊)。これは世界文学の古典といってもいい作品である。
これまで日本でわずかに紹介されてきたグルジア文学は(ドゥンバゼの既訳作品も含めて)、ほとんど例外なくロシア語からの重訳だった。グルジア語はもちろん、ロシア語とはまったく別系統の独立した言語である。しかし、ソ連時代に日本からグルジアに留学することは事実上不可能で、グルジア文学を原語で読むことのできる日本人もほとんどいなかった。ソ連解体後は状況が変わり、好奇心豊かな若く果敢な日本人が少しずつこの地に留学するようになり、直接の人的交流も徐々に活発になってきている(ちなみに、いま大相撲で活躍している力士の「黒海」もグルジア出身である)。この小説の訳者の児島氏も、そういう若手研究者の一人だ。
『僕とおばあさんとイリコとイラリオン』は、著者ドゥンバゼの自伝的要素の強い小説である。発端は一九四〇年、場所はグルジア西部のグリア地方の村。主人公のズラブ少年は、がみがみ口やかましいおばあちゃんに育てられている。そして、彼の身近には、イリコとイラリオンという、これまた口喧嘩(くちげんか)ばかりしている二人のおじさんと、愛犬のムラダがいる。ズラブは決して優等生ではない「悪がき」、「ごく普通の田舎の」男の子だ。二人のおじさんの愉快な企みに関わって、泥棒の手引きをしたり、けっこうどぎついいたずらをしたり、また糞尿まみれになったり、まだ未成年のくせに煙草も酒も派手にやる。しかし、あまりかたいことは言わないことにしよう。グルジアと言えば、友と語らい、酒を酌み交わすのが人間にとってもっとも大切なことだと、多くの人たちがおおらかに信じ、それを実際に楽しんでいる国なのだから。
時はあたかも第二次世界大戦、その暗雲はコーカサスの小村にも影を投げかけるが、ズラブはすくすくと育ち、終戦と同時に首都のトビリシの大学で学ぶため、村を後にする……。全編が愉快ないたずらと、鋭くも暖かみのある悪口から成り立っているような作品だが、もちろん、若き日の鮮烈な抒情もある。例えば、十代の初恋はこんな具合だ。「メリは泣いていた。僕も泣いていた。雪が斜めに降っていた。風が吹いていて、月が出ていた。太陽も出ていた。愛も、涙もあった。」
懐かしさでむせかえりそうになる世界ではないか。これはグルジアの映画監督テンギズ・アブラゼが『希望の樹』で描いた、あまりにも人間くさい奇人変人たちの小宇宙に連なるものだ。ただし、ドゥンバゼの小説には、奇妙な「空白」がある。主人公のズラブは確かに、おばあさんやおじさん、あるいはトビリシの下宿先の女主人といった親しい人たちの愛情をからだ一杯に受けて育つのだが、両親の姿が影も形もないのだ。訳者解説を読めばわかるとおり、じつは、作者の両親はスターリン時代の粛清の犠牲となり、作者は孤児として祖母に育てられたのである。当時のソ連では、そんなことは書かなくても誰もがすぐにぴんときたし、また正面から書こうと思っても検閲を通らなかった。
そこがこの愛すべき半自伝小説の限界ではあるのだが、今の視点から見ると、だからこそこの作品は、政治という夾雑物(きょうざつぶつ)を取り払ったところに成り立つ失われた楽園の物語としての特別な輝きを獲得するのだと言えるだろう。ともあれ、この作品を読んでグルジアが好きにならない人がいるとは思えない。そして、小説を読んで、何かが好きになる――こんなに素晴らしいことがあるだろうか。グルジアに乾杯! 日本で初めてグルジア語から小説を訳した日本人に乾杯!
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