『山村食料記録』の書評

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コ ー ド
ISBN4-89642-086-1
書  名
山村食料記録 1925―1933
著  者
森荘已池詩集 / 森三紗 解説・解題 / 入沢康夫 跋文
書  評
タイトル
気概、あるいは凝視する目の原点
評  者
面谷哲郎 (おもやてつろう)
掲載誌紙
投稿
先に読んだ『浅岸村の鼠』『カエルの学校』の著者なら詩人であって不思議はない。両作に詩人の感性が紡ぎだす世界が窺えるからだが、広告コピーに「未来派アヴァンギャルド」とあるその取り合わせに、おやッと思った。本詩集には著者の16歳から25歳までの早熟な才能がきらめいている。作品の背後には大正から昭和初期に日本へ流れ込んだ芸術運動が見え隠れする。早熟な若者なら当然の成り行きと頷かれもするが、冒頭に挙げた二作に潜む現実を見つめる独特のスタンスからは意外でもあった。しかし読み進むと、後の作品では独特のユーモアに包まれるが、社会的な矛盾を辛辣に凝視する目差しが通底していると気づかされ、納得させられた。その推移は、俗にいう若さが「まるくなる」ようなものではない。むしろ表現を深めたものだろう。そう思うとこれら詩作品には、著者がその後も持ちつづけた気概、凝視の原点があると見えてきた。
若い感性が表現を性急に模索する際とかく感性が表現に追いつかないことがあるが、そうした破綻はほとんど感じられない。標題の「山村食料記録」は昭和4年、21歳の作だが、コラージュ風な手法が内容と溶けあって完成したものになっている。この時代、未来派ばかりかダダイスムやらアナーキズム、プロレタリア文学等々が詩の世界を席巻したらしい。手元にある『日本現代詩大系八 昭和期一』(昭和28年、河出書房)を見ると、ごった煮のようなそんな様相が窺える。すっかり頭から抜け落ちていたが、思いついて同書を繰ると「山村食料記録」が森佐一の名で収録されていた。この一作に詩人の才能は凝縮しているといえようが、本詩集ではなお好ましい初々しい感性に出会うことができる。ことに目を引くのは色彩感覚で、そんな一篇に『鳩』がある。「その鳩は そんなに真白だったよ/雪の上におちたら/血だけが 真紅(まっか)に真紅にみえた程――」(大正15年、19歳の作)。ところで著者は昭和8年、25歳で詩作を止めたのだろうか。この年、親交の深かった宮澤賢治が歿している。なにやら符合するようなものを感じるといえばうがち過ぎだろうか。


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