舞台は第一次大戦下のベルリン。主人公の青年、ビリッヒ博士はある日のこと競馬場で妖しい美女マーゴットに出会う。たちまちメロメロ。A・Y・K社法律顧問の身分も放りだし入れ込んでしまう。このマーゴット、高級娼婦というか裏街道を行く事業家というか、なんともいかがわしい。折しも戦時下の混乱のなかでよからぬ金儲けを企んでいる。周辺には、まさに怪しげな事業家、闇屋、役人その他もろもろが群れている。どれも「悪徳」と冠せられるにふさわしい戦争利得者ばかり。そうそう、こんなのいたんだ、今でもいるか。そんな連中のなかに飛び込んだビリッヒは、マーゴットの裏稼業の片棒を担がされるはめに陥る。跳ぶような語り口ながら作家の目は、ビリッヒを含めたワルどもを冷静に捉えているとみえる。
それはまさに、添えられたグロッスの挿絵の世界、さながら闇鍋のなかの様相だ。例えばマーゴットの乱痴気パーティ。マーゴットへの色欲やら金儲けやら、それぞれ胸に一物、手に荷物といった連中が卑しげな表情むきだしでやりあう。そんな展開が活写される。おそらくこれは種村氏の翻訳のお手柄だろう――リズムのいい文体で、とんとん読ませてくれる。1920年の作であれば当然ながらダダの影を負っているいわばダダ的作品だが、あの特有の晦渋さはない。さて、いッときのマーゴットとの甘いやりとりもつかのま、ビリッヒはあっさり破滅の道をたどる。まあ、お定まりの道ともいえようが、そこにはビリッヒが存在しえた世界そのものの行く末が重なっているともいえそうだ。しかも、するり身をかわして去っていくマーゴット。たぶん、なおしたたかに生きつづけるに違いない。
これを読んで、愚劣な人間模様を笑うか、世の中なーんも変わっちゃいないと苦く思い知るか。
『ダダ大全』を編み、傲然と胸を張るヒュルゼンベックの、もうひとつの切ない愛の貌だ。――
こんな一節がある。「駱駝が驢馬のために考え出した法則を信じてたら白痴になり下るほかない」。もしや私たちはいま、なり下っているのではあるまいか。
まことに面白く読んだ。しかも言いつくせぬ面白さのもどかしさが胸に残る。
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