『風の吹く日は』の書評

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コ ー ド
ISBN4-915841-77-4
書  名
風の吹く日は
著  者
モニカ・ディケンズ 著 / 村井洋子 訳
書  評
タイトル
優しさが輝く辛口の家庭劇
娘たちの家を転々とする母親の選択
評  者
井坂洋子 (いさかようこ)
詩人
掲載誌紙
「週刊読書人」第2280号
1999年4月9日(金曜日)
 自己中心的な夫が、借金を残して死んだあと、家を失った五十八歳の女主人公(ルイス)は、三人の娘たちの住居を転々とするようになる。この辛口の家庭劇は、家庭劇の本場であるイギリスの女性の手によって書かれたものだけれども、日本の多くの家庭にとっても身につまされる問題であると思う。
 人間は、日常的に無垢なものに触れていないと生きづらく、だから動物を飼ったりするのだろうが、無垢が重たく感じられる時もある。たとえば、老いた親も、重たいもののひとつかもしれない。五十八歳は、老いているとは言えないが、心優しく力無きルイスは、それぞれ自分の生活に手一杯の娘たちにとって、老いた親同然、お荷物なのである。
 娘たちは数ヶ月という期日を設けて、順繰りに母親をひきとる。転々としなければならない母親の気持は考えない。
 母親であるルイスのほうは、どの家でも遠慮がち、なるべく娘たちに負担にならないようにふるまっている。そして、娘たちが自分に対してそれほど優しくないことを許している。自分をお荷物だと思うことを許しているのだ。母親だから、である。読んでいて、なんとも切ない。
 だがルイスを必要としている人間もいる。長女の子どもたちのうちのひとり、エレンだ。長女の家は裕福で中流以上の暮らしを営んでいる。が、エレンは、長女と別の男性との間の子どもだった。そのため、父はエレンに辛くあたり、母はエレンを庇わない。優しいのはおばあちゃんだけである。
 もうひとりルイスを必要としているのは、デパートの店員で、スリラー作家でもある独身男性。ルイスと同世代であり、二人はたまたま知り合い、互いの心優しさに惹かれあう。この太った冴えない男性は、しかし本書の華(はな)であり、彼が登場する箇所はほっとする。
 二人以外に、ルイスに好意的な人物もいる。小さな農場を営む三女の夫で、彼の計らいでルイスは念願の住まいが持てることになる。
 心優しさとは、弱さと組み合わされば、ただの弱さにしかなり得ない。ルイスが奥様という意識を捨て、どんな仕事でもいいから欲しい、たとえキャンピングカーでも家を持ちたいと行動するようになってから、彼女の優しさが輝いてくるのだ。彼女はエレンやよその家でいじめられた犬、猫と暮らす。「キャンピングカーに住んでいるキチガイ婆さん。それになるわ。土地の仙人みたいなものね」と楽しそうに話す彼女は魅力的だ。最後はもっと幸福な結末が用意されている。
 登場する人々は、どの人もそれほどラクそうな顔つきはしていない。何かを背負って、やっと耐えて生きている風であり、それは私たちの姿だ。だからこそルイスの思いきった選択、かちとったものに拍手をおくりたくなるが、ふつうはそううまくはいかないだろう。けれども、満足のいかない不如意な運命であっても、ともに生きている人間に、ごくわずかでも憐れみ、優しさを持つこと、そこから笑顔までの距離の近いことをこの小説は教えてくれていると思う。


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