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略 歴
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小沼丹 大正7年、東京生れ。昭和14年、明治学院在学中に「千曲川二里」を発表。井伏鱒二を訪問、爾来師事する。昭和15年、早稲田大学文学部英文科入学。
昭和29年「村のエトランジェ」刊。昭和30年「白孔雀のいるホテル」刊。両表題作とも芥川賞候補となる。昭和33年、早稲田大学文学部英文科教授。「黒いハンカチ」刊。
昭和44年「懐中時計」刊、読売文学賞受賞。昭和45年「不思議なソオダ水」刊。昭和46年「銀色の鈴」刊。昭和47年、早稲田大学在外研究員として半年間渡英。「更紗の絵」刊。昭和49年、ロンドン滞在記「椋鳥日記」刊、平林たい子賞受賞。昭和50年「藁屋根」刊。昭和51年「小さな手袋」刊。
昭和53年「木菟燈籠」刊。「小沼さんの印象は最初のときも現在も、少しも変らない。作品はユーモアに渋味を増して、そして、いつも隣人の気安さでこちらを引きこんでくれる。小沼さんの私小説には、小沼さんの飾らない人柄がそのまま滲み出ている。近作の収められた『木菟燈籠』も、忘れ難い作品が多い」(島村利正)。
昭和54―55年「小沼丹作品集」(全五巻)刊。「小沼丹を好む人が多くなって来ているという。それがみな文学の読み手としては年季の入った人ばかり…。何がそれほど惹きつけるのか。何が親しみと共感のうちにやがて深い喜びと安らぎをもたらすのだろう。誠実味だろうか。腕白とユーモアだろうか。決して愚痴をこぼさない男らしさだろうか。詩的感受性の細やかさだろうか。東西の文学、芸術から吸収して当人の気質に融け込ませてしまった教養の力だろうか。悠悠としているところだろうか。つまるところは才能というほかないのである」(庄野潤三)。
昭和55年「山鳩」刊。昭和61年「埴輪の馬」刊。平成1年、日本芸術院会員。平成4年「清水町先生」刊。平成6年「珈琲挽き」刊。平成8年11月歿。平成10年遺稿集「福寿草」刊。
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