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楽しいことを夢に見た、
僕は独りではないと……
夜明けに目覚めた、ざわめきと
流れる氷塊の割れる音で
………
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カワカマス君は自慢気に修繕したヴァイオリンを見せながらいつまでもしゃべり続けた。
そしてまた弾き始める。ギコギコギーギー、ギコギコ……
いつの間にか雲が空をすっかりうめつくし、陽は再び顔を出さずに沈んでいた。
それでもあたりはなお薄明るく、過ぎゆく夏の夕暮れの甘い草の香りが満ちていた。
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翌々日も、やはりカワカマス君は姿を見せなかった。
遠い地平の彼方で風が鳴っていた。
ボクは終日小屋にこもったまま、とりとめのない空想の世界を彷徨った。
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「……未来の音楽は……
そう、一種のアヴァンギャルドです。意味を持たない一音一音が積み重なって、ある種の建築になるんです。そう……、堅固な、誰も崩せないような……。あっ、もう一度さっきのところを弾いてみましょうか」
…………
カワカマス君はお茶を飲みながら、未来の、来たるべき音楽について、いつまでもしゃべり続けた。
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八月の末のある朝、草原の丘を吹き上がる風の冷たさに、あらためて夏の終わりを知った。
そして、いつまでも愚図つくボクの心と空模様をハネのけるように、突然、今年初めての秋の青空が拡がっていった。
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その遥かな河を背に、草原のスロープから流木の弓と、続いて背をやや丸めて一心にヴァイオリンを奏でるカワカマス君が姿を現した。
でも不思議と、あのギーギー鳴る不協和音が聞こえてこない。
…………
ラララララァーラァー、ラーララァラララァーー、ラララァーラー……
乾いた干草の匂いがするような。
ラ、ラ、ラ、ラ、ラァー、ラァー………
カワカマス君は、一音一音確かめるように、ゆっくりゆっくり奏いていった。
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カワカマス君の背中は、なぜかとても疲れているように見えた。ウロコが少し傷んでいるから、そう見えたのかもしれない。
「今日は一人ですか? ヴァイオリンは持って来なかったんですか?」
「……エエ……。ヴァイオリン……? あ、外に出したままです……」
ボクはもう一度戸を開けて、外に出た。
目の前の枯草の上にヴァイオリンと弓が放り出してあった。大事に抱えて小屋の中へ戻った。
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………帰り道が大変だからと、カワカマス君は小屋を出ることにした。
ボクは長めのマフラーを捜してきて、使うようにと渡した。
カワカマス君は礼を言って、首というか、頭にぐるぐる巻きつけた。
エラが締めつけられて苦しそうだったので、今度はボクも手伝って、フンワリと巻きつけた。
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そして、だいぶ経ってから、椅子の上に置かれたヴァイオリンと弓に気がついた。
戸を開け、外に出た。風は止み、雪だけが激しく降っていた。
ボクはカワカマス君のヴァイオリンを抱えたまま、誰もいない雪の草原を見送っていた。
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新雪は陽の光を反射して、部屋の隅々を明るく照らし出した。
カワカマス君のヴァイオリンは、ボクのつまらないガラクタの横で、埃を被って長い眠りについていた。
光はそこにも当たっていた。
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一面の光を浴びた雪の丘は、とても暖かかった。
ボクはヴァイオリンと弓を手にして、丘の頂に立った。
弓がそっと弦に触れる。ボクはアンダンテ・カンタービレを練習する。
ラァーララ、ラァーララ、ラァーララァララ、ラァララ、ラァーラ、ラ――……
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残雪の斜面にカワカマス君の姿は消えていた。
………
草原は、とても柔らかい憂愁に包まれていた。
ボクは、そっとヴァイオリンをかまえた。
雪に覆われ、すっかりあたりが暗くなっても、ボクはしっかりヴァイオリンをかまえたまま、何も奏けず立っていた。
全ての生命にとって、希望の春が始まろうとしていた。しかしそれは、とても哀しい春だった。
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そして初めて気がついた。
――あの二匹は、本当のロマになって、あちこち旅をしているのかもしれない――と。
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