『風光る丘』の書評

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コ ー ド
ISBN4-89642-125-6
書  名
風光る丘
著  者
小沼丹 著
書  評
タイトル
転機の青春群像 40年ぶりの幸せな余韻
評  者
堀江敏幸
作家
掲載誌紙
「毎日新聞」
2005年4月10日(日曜日)
ガラクタとも鶏ガラともつかぬポンコツ車を一台共有し、持ち回りで楽しむために設立された「ガラ・クラブ」。会員は四人限定で、いずれもA大学の学生である。授業中に気持ちよく居眠りしているのを咎められながら、気に病むことなく飄々としている広瀬小二郎、開業医の息子で並はずれた大食漢の杉野正人、無口で哲学好き、石橋を叩いてわたる慎重さを体現する石橋渡、出まかせばかり言ってみなを煙に巻くほら吹きの洞口謙介。夏休み前の、教師も学生もほんわりふらふらと落ち着かない幸せな季節に、この愛すべき若者たちの珍道中は幕を開ける。
一九六一年九月から翌年五月まで、小沼丹が地方新聞七紙に配信する形で連載していた長篇『風光る丘』は、将来を案ずるより今このときを楽しもうとするそんな学生たちを中心に展開していく、古くさい言い方をすれば、まぎれもない青春小説である。この作品が集団形星という不思議な名前の版元から単行本として刊行されたのは一九六八年のことで、以後、先年全四巻が完結し、現在「補巻」を準備中の未知谷版全集にも収録されぬまま、四十年近くのあいだ絶版となっていた。それがとうとう読めるようになったことを、まずは大いに言祝ぎたい。
物語の牽引役になるのは、杉野の祖母で、縁談まとめに情熱を燃やすスパニエル犬にそっくりな猛烈婆さん、山野百合子女史である。出しゃばりで世話好きな彼女が、懇意にしている信州の旅館「亀屋」の主人、ツルカメヤこと丸山鶴平夫妻から、高校二年になる娘の亀子といっしょになって跡を継いでくれる婿養子候補を探してほしいと頼まれ、孫の友人で、文学部のような曖昧な場所でぶらぶらしている小二郎に白羽の矢を立てたところからすべてが動き出す。祖母の言いつけに背けない杉野は、旅館のある信州へと小二郎を導くために、長期休暇を利用して「ガラ・クラブ」の面々を自動車旅行に誘い出す。
果たしてこの策略が上首尾に運ぶかどうか、それは一読していただくほかないのだが、以上の人物に加えて、四人の同級生である立花鮒子とその妹の鮎子、小二郎の兄の太一郎、週刊誌記者の吉野玲子、道中に出会った寺の住職、ベラフォンテ和尚こと井田賢徳、その姪の上田美代子などが、絶妙の案配で交錯し、なんともいえずほのぼのとした味わいを加えてくれる。
あちこちで笑いをとりながら、一見したところ複雑な物語が、するすると遅滞なく進行していく。発表媒体を意識してのことなのだろう、ほどよい謎を踏み石にした章立てと軽やかな会話の多用に引っ張られて、あっというまに終幕まで読み進めた読者は、わずかなもの悲しさを残しつつも全体としては明るい余韻を漂わせている結末以上に、短篇作家だとばかり認識していた小沼丹が、これほどの構成力と、それを十二分に生かし切るだけの余裕ある筆力をそなえていたことに、しあわせな不意打ちを食らうだろう。
名作『村のエトランジェ』が一九五四年、『白孔雀のゐるホテル』がその翌年に刊行され、また一九五八年にはチェスタトン風の短篇集『黒いハンカチ』がまとめられていることからも明らかなように、三十代半ばから四十代にかけての小沼丹はまことに脂がのっていた。『風光る丘』は、ある意味で、その段階で習得していた小説技術の集大成だったとも言える。
ところがこの長篇は、連載終了時から単行本化までに六年の歳月を費やしており、その間、一九六三年に妻を喪った小沼丹は、後に『懐中時計』として形をなす私小説風の「大寺さん」ものを書きはじめているのだ。そのあたりの経緯を、彼はこう書いている。「小説は昔から書いてゐるが、昔は面白い話を作ることに興味があつた。それがどう云ふものか話を作ることに興味を失つて、変な云ひ方だが、作らないことに興味を持つやうになつた」(『福寿草』)。つまり『風光る丘』は、まだ「面白い話を作ることに興味があつた」時代の産物でありながら、作風の転換を経験したのちに手を入れて刊行されたという、微妙な成り立ちの作品なのである。
小沼丹が身辺に取材した大寺さんものを徐々に深化させて、私小説ではなく、英国風としかいいようのない諧謔と突き放した自己観察の場としての文章を磨いていったことは多くの読者の知るところだし、私もまた、みごとな脱力の術に支えられたその散文に魅了され続けている者のひとりではある。しかし、これだけの数の人物を数百枚にわたって破綻なく統御できる筆力を見せられると、「面白い話を作る」方向にも、もっと枝を伸ばしてもらいたかったなと惜しまれもするのだ。登場人物のひとり、鮎子は言う。「誰かが幸福になると、その分だけ誰かが不幸になるって云うことないかしら?」。少なくとも、『風光る丘』一冊のおかげで、私たちは不幸を知らずに済んだと言えるのかもしれない。


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