リディア・アヴィーロワ著『チェーホフとの恋』は、その解説も含め幾層もの入れ子に収められた恋の物語である。帝政ロシアで、人妻である女流作家と医者であり作家であるチェーホフとの恋。ロシア革命勃発時のペテルブルクで、ヴァイオリニストであるロシア女性アンナと動物学者であり社会運動家でもあった小野俊一との恋。そして戦後の日本で、故国ロシアへの郷愁や、幼くして死別した父への思い。ここには恋という名のノスタルジアがあふれている。
著者は一八九〇年代から活躍したロシアの作家である。チェーホフと初めて出会ったとき彼女は二十四歳で、すでに家庭があり幼い子どももいた。そのことが、その後十年にもおよぶチェーホフとのプラトニックな恋の物語を紡ぎださせたのかもしれない。幾度かの出会いと手紙のやりとりだけで、十年もの間、二人は不思議な恋の駆け引きを続けている。
リディアにとっては凡庸な日常に埋没しそうな自分を救い出す、チェーホフは文学のミューズならぬ男神なのだ。文学一筋に生きたいと願いながら、家庭を捨てることができないリディア。おそらく私達にとって厄介なのは、衣食住が足りた後におとずれる、この自己実現の欲望だ。だからこそ、百年という月日が流れてもなお、リディアの思いは色褪せない。
さらに私達はこの本の「解説」を手引きに、チェーホフの恋の謎解きに参加する。解説者・小野有五は、このロシア作家の恋の軌跡を〈夏のチェーホフ・冬のチェーホフ〉として描き出し、チェーホフ文学の一端をみごとに形象化している。相手に対する独占欲を拒絶し、恋に焦がれるその思いの切なさだけに固執したチェーホフ。彼が孤独や愛の不条理や人間存在の愚かさを描いた秘密は、そこにあるのだろう。
また、「後記」で読者はこの本の翻訳者が解説者・小野有五の父であることを知る。翻訳者・小野俊一は革命直前のペテルブルクで一人の才能豊かな美しいヴァイオリニストに出会う。こういう出会いを運命の出会いというのだろう。彼女こそ巌本真理、前橋汀子など日本の女流ヴァイオリニストを多数育てあげた、後の小野アンナだった。
そのことを知った時、弘前のつつましい会場で、巌本真理のヴァイオリンを初めて聴いたときの、幼い私の不思議な興奮が、何やら遠いロシアから続く、深い流れのように思い出された。人生は、まるでロシアの大地を悠楊と流れる母なるボルガのようだ。
さらに、この本の挿絵を描いた画家ワルワラ・ブブノワは小野アンナの姉で、当時の日本にロシア・アヴァンギャルドの風を吹き込んでくれた人だった。日本のロシア文学者にも大きな影響を与えている。その一人に秋田雨雀がいることを知り、私はまた人生の出会いの不思議に心動かされるのである。
そのようにもこの本は人生の辛さ切なさを凌ぐ人生の不思議さを、幾層にも伝えてくれる本である。ロシアの深い草原とその果てなさとともに。
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