『どこ行っちゃったの?』の書評

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コ ー ド
ISBN4-89642-082-9
書  名
どこ行っちゃったの?
著  者
アンドレアス・シュタインヘーフェル 著 / ヘリベルト・シュールマイヤー 絵 / 大川温子 訳
書  評
タイトル
年齢を超えて見えてくる世界
評  者
面谷哲郎 (おもやてつろう)
掲載誌紙
投稿
事典で「絵本」を引くと「(1)挿絵のある書籍。絵の本。絵草紙。(2)絵の手本。(3)絵を主体とした児童用読み物。」(『広辞苑』第二版補訂版)とある。またこんな説明にも出会う。「絵本は、経験の浅い子供たちにものを教え、認識を深め、よい言葉と絵とで感覚をつちかい、空想力を養い、情緒を安定させる力をもつ。」(平凡社『国民百科事典』1976年刊)。後者は前者の(3)に言及したもの。「情緒を安定させる」云々は気になるが、ま、一般的な理解でもあろう。しかし……と思う。実は大人が見て面白い作品がたくさんある。例えば子供に大人気の長新太の作品。いつも腰かけられている椅子が、自分も腰かけたいと出かける。どんどん歩いて山に登る。それが火山で大爆発。椅子は大入道の溶岩に追われ、ようやく海に逃げこむと、スッテンコロリン転んだ溶岩が固まったのでひと安心。家に帰った椅子は、ああ疲れた。家人の頭に腰かけて、おやすみなさい。あるいは、海岸にいろんなものが流れつく。巨大なビルやら、酔っ払ったお父さんまで流れてくる。子供と大人ではおかしみに違いがあるだろうが、とにかく笑ってしまう。こういう作品に出会うと、絵本の受容には年齢など関係ない、あるいは年齢相応に想像力を刺激する内容を含んでいると思えてくる。『どこ行っちゃったの?』もそうした作品と言えそうだ。
探す、追いかけるという絵本のパターンがある。いま手元にあるのなら、例えば『はなをくんくん』(クラウス・文/シーモント・絵)。雪深い森に動物たちが熊から蝸牛まで次々現われ、鼻を鳴らして何かを探しまわる。とうとう雪のなかに見つけた一輪の花。鼻を刺激するのは春の匂いだった。あるいは『あのおとなんだ』(武市八十雄・文/谷内こうた・絵)。熱が出て寝苦しい男の子に何か聞こえる。深夜なのに何だろう。男の子は家から外へ歩き出す。歩き疲れてひと休みすると「あ、まぶしい」。太陽が顔を出す。音は朝の来る足音だった。『どこ行っちゃったの?』も、言わばこのパターン。「君」が出ていって取り残された男の子が「君」を探す。家の中で探しあぐね町へ出るが見つからない。家に戻って待つけれど不安はつのり、とうとう夜になる。そのとき玄関で鍵の音。男の子は玄関へ走り、満面の笑顔で迎える。しかし「君」は描かれていない。話の途中で男の子が「君の上着のボタン」を見つけるから、「君」は人間らしい。父親か母親か。いや、誰でもいいのだ。いやいや、人間でなくてもいいのかも。自分が生きている空間を共有する、自分が在ることを支えあう何か……読者は内省しつつ、想像力を刺激される。年齢を超えてそれぞれに世界が見えてくる。


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