北欧精神史紀行

―ノルウェースターヴ教会めぐり―

中里 巧

【第3回】


 ノルウェー・デンマークにおけるスターヴ教会調査に、8月5日に発ち、8月26日に帰国しました。
 かんたんな日程表をご紹介しましょう。英語で書いています。

8/5
NARITA
11:00
BA006
LONDON
15:30
 
LONDON
17:55
BA770
OSLO
21:00
 
PREPARE
HOTEL : RAINBOW SPETRUM
8/6
OSLO
11:00
SK388
ALTA
12:55
LOCAL BUS
ALTA MUSEUM
13:00-17:30
 
ALTA
17:35
LOCAL BUS
ALTA
17:45
 
DESK WORK / PREPARE
HOTEL : PARKHOTEL
8/7
ALTA MUSEUM
10:00-16:00
 
DESK WORK
HOTEL : PARKHOTEL
8/8
DESK WORK / PREPARE
ALTA
15:20
 
TROMSOE
15:55
 
WALK / WATCH / SEEK
DESK WORK
HOTEL : REINBOW TROMSOE
8/9
TROMSOE MUSEUM
11:00-14:30
(BUS NO.28)
MOUNTAIN WALK / SEEK
DESK WORK / PREPARE
8/10
TROMSOE MUSEUM
11:00-15:00
(WALK)
DESK WORK / PREPARE
HOTEL : REINBOW TROMSOE
8/11
TROMOSE
08:40
SK381
OSLO
10:30
 
OSLO
14:30
BUS 22-187 TIMEKSRESSEN (LOKALRUTE390)
NOTODDEN
16:15
TAXI
BOLKESOE
16:30
 
DESK WORK / PREPARE
HOTEL : GRAN HOTEL BOLKESJO
8/12
BOLKESOE
9:00
TAXI
HEDDAL
9:20
 
HEDDAL STAVCHURCH RESESARCH
HEDDAL
16:55
LOCAL BUS
NOTODDEN
17:10
TAXI
BOLKESOE
17:30
 
NOTHING
HOTEL : GRAN HOTEL BOLKESJO
8/13
BOLKESOE
9:00
TAXI
HEDDAL
9:20
 
HEDDAL STAVCHURCH RESESARCH
HEDDAL
17:30
TAXI
BOLKESOE
17:50
 
DESK WORK / PREPARE
HOTEL : GRAN HOTEL BOLKESJO
8/14
BOLKESOE
10:00
TAXI
NOTODDEN
10:20
 
INFORMATION center
NOTODDEN
11:40
BUS 22-01 (HAUKELIEKSRESSEN)
AAMOT YTREVINJE
13:45 
 
AAMOT YTREVINIJE
14:45
BUS 22-320 (SULESKAREKSPRESSEN)
DALEN
15:15
 
INFORMATION center
WALK / SEEK
HOTEL : DALEN HOTEL
DESK WORK / PREPARE
8/15
DALEN
10:00
TAXI
EIDSBORG
10:15
 
EIDSBORG STAV CHURCH RESEARCH
EIDSBORG
15:00
TAXI
DALEN
15:15
 
CANAL RESEACH /WALK
PREPARE
HOTEL : DALEN HOTEL
8/16
PAREPARE / REST
DALEN
13:10
BUS 22-320
AAMOT YTREVINIJE
13:40
 
AAMOT YTREVINIJE
14:30
BUS 22-180
OSLO BUSSTERM
18:40
 
NOTHING
HOTEL : RAINBOW SPECTRUM
8/17
HISTORY MUSEUM
11:00-13:00
 
NATIONAL VOLKE MUSEUM
13:30-17:30
 
GOL STAVCHRUCH RESEARCH
PREPARE
HOTEL : RAINBOW SPECTRUM
8/18
BOOKS RESEARCH & ORDER
TALK WITH PROF. XX
STAY : C/O PROF. XX
8/19
MUNK MUSEUM / CATSLE ETC.
TALK WITH PROF. XX
STAY : C/O PROF. XX
8/20
OSLO
9:30
SK457
COPENHAGEN
10:40
 
TALK WITH FRIENDS
NATIONAL MUSEUM
13:30-16:00
 
TALK WITH FRIENDS
PREPARE
STAY : C/O FRIENDS SOCAL COUNSELOR / TEACHER XX
8/21
HOEJTAASTRUP
9:12
TRAIN
VEJLE
11:23
TRAIN
JELLING
12:30
 
JELLING STONES RESEARCH
JELLING
16:30
TRAIN
VEJLE
16:50
 
HOTEL : HEDEGAARDEN
8/22
WALK
CITY MUSEUM
VEJLE
11:48
TRAIN
HOEJTAASTRUP
14:18
 
TALK WITH FRIENDS
STAY : C/O FRIENDS MEDICAL DOCTORS
8/23
BOOK RESEARCH
VISIT RESEACHER XX
DESK WORK / PREPARE
STAY : C/O FRIENDS MEDICAL DOCTORS
8/24
NATIONAL MUSEUM
11:00-14:00
 
VISIT DANISH PARENTS
STAY : C/O FRIENDS MEDICAL DOCTORS
8/25
COPENHAGEN
12:20
BA815
LONDON
13:15
 
LONDON
15:45
BA007
8/26
NARITA
11:30
 

 通常、だいたい1ヶ月の日程で、毎夏北欧に出かけていましたが、今回は大学の雑務で10日ほど、短くなってしまいました。そのため、デンマークで友人らと時間を十分過ごすことができず、 まずかったでした。雑務というのは本当にマイナスです。
 日程をご覧になって、皆さんは何をお感じになるでしょうか。何だ、あんまり調査時間がないじゃないか、とか、結構タクシー使っているのか、とか、ホテルが多いなぁ、とか、様々でしょうか。あるいは、そんなにスターヴ教会調べていないじゃないか、と思われるでしょうか。たしかに今回は、直接調べたスターヴ教会は、3つだけでした。また、昨年よりも日程的に詰まっていました。けれど、今回は大変充実したフィールドワークでした。
 つい先日、本務校の学生たちのゼミ合宿で、ほんの少しだけ今回の成果を見せたのですが、彼らは半分ぐらいが寝ておりました。学生たちにとっては、目の前に出されるどんな写真や事物も、テレビや雑誌のコマーシャルと同じで、商品としか感じ取れないようです。これは大同小異であって、われわれ自身も、学生のそうした姿をとおして、反省しなければならないと思います。
 一見、大変小さな成果のように感じられようとも、概して、その成果を得るためには、時刻表・ホテル予約・現地情報の入手・言語習得など、途方もない準備が必要であり、また、そうして得られた成果を確実に保管するために、気長で執拗な整理が必要なのです。けれど、商品としか感じ取れなければ、そういう苦労は意識の中から排除されてしまいます。けれど、そうした苦労が排除されたら、フィールドワークは無意味になってしまいます。なぜなら、そうした苦労がまさに、フィールドワークの醍醐味であり、最も上質な人文科学的産物だからです。そんな気持ちから、長々と日程表を公表したわけです。
 今回ご紹介する写真は、昨年のフィールドワークからのものもだいぶ混じっています。



ロルダール教会西側正面
写真1:撮影1998年8月
 ロルダールRoeldal教会は、幹線道路E-11のロルダール村にあり、13世紀に建てられました。
 何回もの修理で、あまりスターヴ教会風には見えません。ウルネス型と思われます。この教会は、現在もなお地区教会として使われており、保存協会の所有ではありません。よく見ると、正面最下層の屋根にアンドレア型十字があります。アンドレア十字形は、スターヴ教会内部でよく見かける形ですし、ケルトと関連性のある十字形なのです。



ロルダール教会内部イエス像
写真2:撮影1998年8月(教会内部撮影は許可を得ている)
 教会祭壇前方に掲げられているイエス像です。長さは目測で1mほどです。1250年頃作られました。このイエス像は、中世から近代にかけて毎年聖ヨハネ祭に、数知れぬほどの癒しの奇跡を起こしてきました。この奇跡伝承は、たんなる作り話ではありません。現実の出来事として起こってきたのです。このイエス像そのものは、大変肌が美しく、真っ白です。何らかの病気にかかっているイエスではありませんし、手のひら、足の甲、脇腹からまったく血を流していないように見えます。



ロルダール教会内部カーヴィン
写真3:撮影1998年8月
 この写真は、この教会の特徴である「癒しと奇跡」のリアリティを明白に語りかけています。写真は、外廊の内部側木壁の一部です。コルク形状の木で詰められた小さな穴や、十字や人の形が無数に彫られているのが見えます。
 癩病者や伝染性の病気にかかった人々は、教会の集会に参加できませんでした。そのため、外廊から内部を、この小さな穴からのぞいたのでした。
 また、無数に彫られているものは、以下 CARVING と呼ぶことにしますが、教会のもつ聖なる力が自分に働きかけられることを願って彫ったものでした。おそらく18世紀末まで大半の人々は、文盲だったと思われます。人々は、人型などの固有の文字を考案したか、あるいは地域に伝承されたそうした文字を、自分の名前として教会の外廊の木壁に彫って、教会の聖なる力に預かろうとした、と推測されます。この CARVING は、アルタにある数千年前から彫られてきた STONE CARVING とも形状的に類似したものが多く、興味深いのです。



ロルダール教会内部カーヴィン
写真4:ロルダール教会内部カーヴィン 撮影1998年8月
 教会祭壇中央に位置する外廊内部側木壁。祭壇中央のちょうど裏に位置しています。まさに無数の CARVING です。これを見たとき、驚嘆すると同時に涙が出てくる思いでした。まさに無数の人々が、癒しを願って、この教会を訪れて奇跡をのぞんだのがよくわかります。私は、30分ぐらいこの CARVING をそおっとさすってみました。当時の人々がどんな思いで、どんな厳しい生活のなかで、これらを彫ったか少しでもわかるかもしれない、と思ったからでした。



ロルダール教会祭壇(写真‐現ベルゲン歴史博物館所蔵)
写真5:撮影1998年8月
 ロルダール教会内陣に設えられてあった祭壇板。現在は、ベルゲン歴史博物館に所蔵されています。写真は、ロルダール教会外廊に掲げられていた写真を撮したものです。この祭壇版は、1340年頃制作されたもので、イエスの受難が描かれています。ストロボの光が反射していて、見にくいですが、復活のイエス以外は、どれも多量の血を流しているようなのがわかります。ただし、よく見ますと、血を流しているというよりも、赤い斑点として描かれています。これは、当時の技法だったかもしれませんが、黒死病などの伝染性の病気にかかったイエス像のようにも、見えます。
 写真2のイエス像と比較してみて下さい。写真2のイエス像は、まったく血を流していません。しかし、100年後のイエスは、全身が赤く染まっています。この違いをどう考えるか。私には、写真2の木製イエス像は、何かしら「浄さ」をあらわしているように思えます。写真5の受難のイエス像は、むしろ、不浄なる現実の人々の苦しみをあらわしているように思われてなりません。写真5のイエスは、私には、民衆とともに病にかかり、民衆の苦しみをまさに背負ったイエスであるように感じられてなりません。



ロルダール教会完治者が奉納した補助具や完治した部位のモデル
写真6:撮影1998年8月
 この写真も、ロルダール教会の外廊に掲げられていた写真を撮ったものです。ロルダール教会やオスロ歴史博物館の説明によれば、ここで癒された人々は、身体が完治して、補助具や完治した部位のモデルを木で作って、教会に奉納したのでした。



ロルダール教会完治者が奉納した完治した足のモデル
写真7:撮影1998年8月
 これは、オスロ歴史博物館に展示されているもので、長さは30cmほどのものです。自分の完治した足のモデルを木で作って、ロルダール教会に感謝のために捧げたものです。



ベルゲンハンセン記念館(旧癩病棟)
写真8:撮影1998年8月
 ベルゲンにあるハンセン記念館に保存されている癩病患者の部屋です。ここで私は、あえて癩病と書いて、ハンセン氏病と書きません。なぜなら、癩病とハンセン氏病とは違うからです。癩病は、ハンセン氏病を含んだハンセン氏病および外見や症状が似た皮膚病の総称であり、ハンセン氏病とは明らかに異なります。ハンセンが癩病の菌を発見するまで、厳密に言えば、どれがハンセン氏病であり、どれがそうでないかは、確実には判断できなかったわけです。このハンセン記念館は、ハンセンが癩菌を発見するためにまさに死闘した旧癩病棟です。
 ハンセンがノルウェー人であったことは、たんなる偶然ではありません。ノルウェーは長い間、アイスランドとともに、癩病患者がとても多かったのでした。ロルダール教会が癒しの教会であり、無数の人々がロルダール教会に癒しを求めてやってきたことと無関係ではないのです。生活の厳しさ、貧しさが、スターヴ教会の歴史的背景には重く存在してきたのです。



ベルゲンハンセン記念館(旧癩病棟)
写真9:撮影1998年8月
 ハンセン記念館に掲げられている当時の患者の写真を撮ったものです。私たちは、当時の人々の苦しみを学ぶことによって、この病気の恐ろしさを知ることができるのです。彼らは、教会の集会に参加できなかったのでした。外廊からのぞいて、十字を木壁に彫って、それを必死に拝んだのです。神の義とは一体何なのでしょうか。・・・キルケゴールの著作の題名『死にいたる病』を、思い起こしました。



エイドゥスボルク教会西側正面
写真10:撮影1999年8月
 この教会に行くのも、一苦労でした。地図上では、ホテルから5kmぐらいの距離で、歩いても行けるかなぁ、と思いました。・・・が、そんな奴はいないよ、とホテルのカウンターでもインフォメーションセンターでも言われて、タクシーという常套手段を使うことにしました。ホテルは、まさに谷の底にあって、教会は、丘の上なのでした。標高差400m以上ありました。バスは、学校があるときしか走りません。私が行ったときは、まだ現地は夏休みでした。現地ではいつ夏休みが終わるのか・・・、そんなことは行ってみなければわかりません。そもそも地図上で予想したことと現場とは、大分違っている方が、ふつうです。もっと地理学を勉強しておけばよかった・・・、植物学とか地質学とか、勉強しておけばよかったとおもう事柄は、数知れずであります。エイドゥスボルクEidsborg教会は、1250年頃建てられました。場所がずいぶんローカルでありまして、何回も修理されていますが、そのわりには、創建の頃の構造や木材が、現在なお多く確認できます。
 今世紀におこなわれた修理のさいに、この教会の会堂の底から、キリスト教化以前の北欧神話時代の寺院のものと推定される痕跡が、発見されています。
 さらに、この教会もロルダール教会と同じく、癒しの教会なのです。ただし、癒しの御神体は、聖ニコラウスの木像です。人々は、夏至祭のおり、正面にある小さな湖に運んで、この聖ニコラウス像を水で洗ったのでした。巣鴨のとげ抜き地蔵のような感じです。そして、人々はこの聖ニコラウス像を背負って、湖を3回廻って、再び教会に安置したのでした。
 ロルダール教会とエイドゥスボルク教会は、ともに、湖に接しているという点が、地理的に類似しています。湖に接しているということは、大地母神信仰の担い手であった沼地を想起させます。ひとつの仮説として考えられるのは、両教会が、少なくとも青銅器時代頃から大地母神信仰と関連してきた土地に、建てられたのではないか、ということです。



エイドゥスボルク教会北側から
写真11:撮影1999年8月
 この写真で見ますと、エイドゥスボルク教会向かって右から3分の1ほどが、1250年頃の初期建築です。ただし、西門は、19世紀に作られたものです。写真では、右にでっぱっているのが、西門です。本来スターヴ教会の出入り口は、南門と思われます。つまり、西門はなかったのです。



エイドゥスボルク教会ニコラウス像
写真12:撮影1999年8月
 エイドゥスボルク教会に掲げられていた聖ニコラウス像のオリジナルです。現在は、オスロ歴史博物館の所蔵です。フィールドワークをするのは、現場という場所が重要だからなんですが、その現場に行ってみると、肝心要のものが、都市の博物館に移されてしまっていることが少なくありません。この聖ニコラウス像をオスロに移した役人は、1週間ほどして、死んでしまったという伝承がこの教会には残っています。祟りであります。高さは、1mほどです。



エイドゥスボルク教会ニコラウス像
写真13:撮影1999年8月
 よく見て下さい。微笑んでいるのがわかりますか。私にはそう見えます。少なくとも、顔の造形は、左右がシンメトリーではありません。口が、向かって右に多少せり上がっています。実際に見ると、とてもやさしいお顔をしていらっしゃいます。心が安らぐのを感じます。聖ニコラウスは、サンタクロース伝説の祖でもありました。
 スターヴ教会に関する研究方法の手順などについては、次回に述べようと思います。

この連載に対する感想をお待ちしています。
edit@michitani.comまでメールをおよせください。

[HOMEへ][刊行物案内へ][新刊情報へ]

未知谷