北欧精神史紀行

―ノルウェースターヴ教会めぐり―

中里 巧

【第2回】


 すいません。はりきって1週間更新するつもりだったんですが、大学の雑務に追われて、更新が遅れました。これからは、2週間程度の更新ピッチで行きたいと思います。と言っておきながら、裏切るようですが、8月中はノルウェーにスターヴ教会のフィールドワークに出ます。ノートパソコンを抱えて行くつもりですが、また更新が遅れるかもしれません。ご容赦下さい。
 前回の写真について、まず簡単に解説いたします。
 
ボルグント教会について
 スターヴ教会の「スターヴ」というのは、柱という意味です。木の柱や梁で建てられた木造建築教会ということです。おそらくヨーロッパ中部以北において木造建築教会は、長い間ごく一般的に見られたと思われます。北欧のばあい、私のフィールド対象地域であるデンマーク・アイスランド・ノルウェーの初期教会の多くが、スターヴ教会であったと言えます。全部とは言えない理由は、デンマークの場合当初から、柱や梁は木であったにせよ、壁は漆喰だった場合も少なくなかったと推定されるからです。アイスランドにはかつて巨大なスターヴ教会があったことが記録されていますが、アイスランドの場合も、木材をノルウェーから輸入していたはずですし、多くの教会は、ノルウェーとは異なって、すべて木材によって建築されたとは考えにくいのです。
 スターヴ教会 Stavkireke は、北欧にキリスト教が公的に導入された当初に建てられ今なお現存する木造建築群で、これらのうち最古の建物は、紀元後1100年代につくられています。現存するヨーロッパ最古の木造建築群でもあります。
 ボルグント Borgund スターヴ教会は、レルダール Laerdal から幹線道路E16に沿って西約20キロメートルに位置しています。ボルグントは小さな村であり、人口推移は、1665/330,1701/360,1723/410,1769/513,1801/684,1815/747,1825/823,1845/1056,1855/1008,1865/963です。幹線道路E16は、中世以来の古道であり、ベルゲン Bergen からこの地域を経由してオスロ Oslo の方向へ通じていました。現存するスターヴ教会の多くが、こうした中世や古代にまでその歴史的起源をさかのぼりうる幹線道路沿いに位置しています。ボルグントスターヴ教会は1100年代後半に建てられました。第三層と第四層の屋根両端に竜の守護神が飾られています。この竜の守護神は、バイキング船にも見られるもので、北欧神話起源です。また第二層と第三層の南北の外壁にユグドラシルの樹(北欧神話の世界樹)シンボルが彫られています。教会祭壇において水脈と地脈が交差していること、および、教会建物の北側10メートル付近に石器時代起源と思われる祭壇跡があることを指摘する研究者や報告もあります。スターヴ教会が建てられている土地には、概して、こうした伝承が多く残されています。ボルグント教会西門左の壁には、おそらく中世時代に訪問者によって刻まれたルーン文字が、残っています。スターヴ教会の木壁には、ルーン文字やルーン文字の変容した記号が刻まれていることが多いのです。ボルグント教会内部にある石の祭壇は、上部中央に直径約2センチメートルの穴が彫られています。伝承によれば、キリスト教導入以前の北欧神話起源の儀式が、この祭壇上でおこなわれ、動物の血をこの穴に流した、と言われています。
 
ウルネス教会について
 スターヴ教会には二つの建築様式があったと考えられています。ボルグント型とウルネス型です。こうした型の違いは、スターヴ教会を建てた大工の棟梁が違っていたからだ、と研究書などに書かれていますが、大工の流派に二大勢力があったのかもしれません。
 ウルネス教会は、ユネスコに世界遺産として登録されているスターヴ教会であり、ヨーロッパ最古の木造建築物として知られています。建築されたのは、1130−1150年頃と思われます。この教会の外壁全面に当初、ヴァイキング紋様の装飾が施されていたと推定されます。このヴァイキング紋様は、ウルネス紋様と言われています。ヴァイキングや北欧神話関連の書物のほとんどに、このウルネス紋様の写真があります。このウルネス教会に行くのは一苦労でした。
 
なぜ北欧なのか
 哲学科に所属していますと、素朴な疑問がいくつも沸いてきます。そもそもの話、哲学科という名称なのに、なぜ西洋哲学なのか。それから、西洋哲学史は、なぜ古代ギリシアから始まるのか。私がここで特に問題にしたいのは、なぜ古代ギリシアからスタートするのかという疑問なんです。古代ギリシアからスタートしたとして、それがヨーロッパ哲学史の始まりと言えるか、ということなんです。現在ヨーロッパと呼ばれる大半の地域は、古代ギリシア人にとっては未開のジャングルみたいなものだったはずです。ヨーロッパは、近世以降だんだん力をつけていくなかで、自分にふさわしい格好いいルーツを捏造するために、古代ギリシアに目をつけたのであって、むしろ、ヨーロッパの本当のルーツは、ゲルマンやケルトなど、当時のギリシア人から見れば、原始的としか思えない文化や環境のなかにあるのではないか、ということなんです。
 コペンハーゲン郊外にある考古学センターに、デンマークの友人家族と遊びに行ったとき、他ならぬそのデンマーク人の友人夫婦が、ショックを受けたのは、沼地信仰の説明標識に書かれているデンマーク年表に、古典的古代がないということでした。年表には、中世以前が鉄器時代になっていたのでした。デンマーク人の友人夫婦は、二人とも福祉関係の仕事に就いていて、インテリなんです。というかむしろ、インテリだからショックを受けたのかもしれません。ゲーッ、AD1000年でも依然として鉄器時代だったのかよ、という失望なのです。
 山川出版の日本史教科書に記述されている我が日本は、すでに平安時代末期でありました。どう考えても、京都は鉄器文化ではありません。けれど、日本史の教科書に記述されている日本社会も、地域・階層・文化形態・観点など、しごく断片的であって、例えば私のご先祖などおそらく、平安時代末期はおろか室町時代になってもまだきっと、宮崎監督作品の「もののけ姫」に出てくるアシタカの村よりも貧弱な、竪穴式住居集落に住んでいたのではないでしょうか。
 デンマークの友人夫婦も、学校教育で歴史を教わって、それがあたかも自分たちのルーツであるかのように、古典的古代としての古代ギリシアからスタートするヨ−ロッパ史を習って、いつの間にか、自分たちのルーツが古典的古代にあるかのように思い込んでいたわけです。
 私は、ヨーロッパ思想の主要なルーツをゲルマンやケルトにある、と考えているのです。ですから、当然のことながら、哲学史は最初から書き直されなければならない、と思っているのです。この仕事は、文献のなかにのみ思想が保存されているというような、きわめて傲慢かつ狭い視野からは、できるものではありません。
 フィールドワークする哲学者――これを、私が勤めている大学の友人は、モバイル=フィロゾーフと命名しました。英語とドイツ語が混在していますが、言い得て妙な表現で、私は気に入っております――でなければ、つまり、身体知や現場の存在拘束性に浸ること抜きにしては、非文献的かつ無文字的事象から、思想を抽出することはできない、というのが私の思いであり、ほとんど衝動に近い確信なのです。立証できるのか?とつい最近も或る学会で反論されました。立証できるか、とほとんど勝ち誇ったように皮肉な反論や質問を浴びせる人に対して私は、立証できません、と言うことにしています。ただし、そうした反論や質問をする人自身もまた、その人の世界観なり価値観なりが、他の地域・文化・階層・時代の人々に対して、立証不能ではないのか、という再反論を暗に含めた上でです。そもそも「立証」というのが、きわめて怪しい言葉ではありますまいか。トレルチが晩年になって指摘したように、近代ヨーロッパが歴史学に自然科学的立証性を投影するようになって、さらに思想史における推論作業にまで浸透させた末に生まれた、不思議な「立証」なのです。時代特有の立証性であって、それが立証性のすべてでは断じてないのです。私が主張する精神史的手法については、次回以降に述べてみたいと思います。
 なぜ北欧なのか……なぜなら、北欧には以前として、古代ギリシアに始まる世界観を拒むに十分な土着性が、息づいているからなのです。
 例えば、今回お見せする写真のうち、沼地信仰やそうしたところから発見されている大地母神像は、北欧神話という男性性や父性性の強い思想圏においても、女性性や母性性が変容しつつなお神話思想内部の古層として、伝承されている一例です。西洋哲学のうちとりわけドイツ観念論などで、Grund という言葉が使われるのですが、Grund というのは本来、沼地を指していたと考えることができるのです。つまり、Grund という概念には、大地母神信仰との関連があるということが言えるのです。北欧神話『古エッダ』のラテン文字最古の牛革本の写真を、付しておきました。
 それから例えば、北欧近代の思想家にS.キルケゴールがおります。彼の思想は、実存思想とか実存主義と呼ばれて、「実存」・「主体性」・「単独者」といった言葉によってイメージが作り出されて固着化したために、かえって現在では何か決まり切って古くさい思想のように思われています。しかし、そうしたイメージこそ、北欧精神史の潮流を無視したきわめてナンセンスなものなのです。アイスランドの古法には、アウトローの規定があります。アウトロー規定は、ドイツや北欧に顕著な法律でした。キルケゴールの著作『おそれとおののき』における記述などは、むしろ、このアウトロー規定と大変似ているのです。キルケゴール思想が古いのではなくて、キルケゴール思想に勝手なイメージを投げかけておきながら、本当の意味でフィールドワークや精神史的アプローチをしないような、そうした研究者の姿勢に問題があるのではないか、と私は思います。キルケゴールは、「実存しつつ考える」と言いましたが、研究者自身が精神史の潮流の中で実存しつつ考えていないから、そうなってしまうのではないのか、と私は言いたいのです。
 なお今回の写真はすべて、中里が1997年〜1998年に撮影したものです。


沼地信仰(デンマーク)1
沼地信仰(デンマーク)2


大地母神像(デンマーク)1
大地母神像(デンマーク)2


 
 
アイスランド大学所蔵(古エッダ)原本
アウトローが住んでいた
洞穴(アイスランド)


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